クラウンで営業を始めたのはうちが開業してから2年後の2007年11月17日土曜日。
(出店交渉で本社へ行ったものの半年くらい放置されて・・・、資料を後任の方が見つけて連絡下さいました。諦めていたのでとてもうれしかったのを覚えています。)
今も家族ぐるみで付き合いのある女性に手伝いを頼んでの営業でした。
「初めての場所だしいつもより少し多めに餡を持っていけば十分かな」という感じでドキドキしながら開店したのを覚えています。
・・・昔の営業ノートを見返してみました・・・
当時はまだ昼過ぎまでは1人で営業していて14時から2人体制でした。
初めてのものでも比較的興味を持って買って下さるお客様が多く、17時頃には完売となっています。
最初の営業なのに餡子の量り売りがなぜか2件もある!
その後、順調に常連さんを増やして一番良かったのは2010年頃だと思います。
当時は買い物前の注文を特に取っていなかったので自動販売機の前まで行列するなんてことがありました。
(前は駐車場を整理するおじちゃんがいました。お世話になりました。)
駐車場も半分以上が外車で服装に気を使っている年配の方が多かったです。
別に今が気を使っていないとかいう意味では全くなくて、「お金に余裕がある」を超えた「余っている」が故の表れに思えました。
実際、お花を買われている方も多かったです。花っていろんな余裕がないと買えませんよね。
でも決して傲慢な方とか自慢話をされるような方はいなかったので、わかる人にはわかるたい焼きと思いながら鼻歌交じりで必死に焼かせてもらいました。
ホント、イベント以外であんなに1日中焼きっぱなしの場所はなかったし、これからもないと思っています。
閉店後、クタクタになりながら「たい焼き屋冥利に尽きるぜ」って何度も思いました。
2010年に自分も店を持って1年ほどクラウンを離れました。
変わってきたのは震災後からといってしまえば簡単なのですが、世代交代が進んできたことでしょうか。
お屋敷が取り壊されて分譲され、そこにコンパクトな家が何軒か建つ。
大きな庭は要らない。無駄なものは持たない。モノは必要な分だけで十分。そういう考えが浸透してきた気がします。
いや、可能ならばたくさんのお金やモノで囲まれたいのかもしれないけれど、3,40年前のように右肩上がりの景気ではなく、ボーナスも基本給の数か月分・・・全てが想定の範囲では大きな生活はできない。
それが現実的な見方のような気がします。
(堅実で自分は好きですが・・・)
毎年、夏場休んで秋から営業を再開するのですが、売上にさほど変わりはないものの毎年何か「微妙な変化」を感じていました。
10枚20枚注文して下さっていたおばちゃんが来なくなったり、行列しなくなったり・・・。
ただ、それに関しては飽きもあるし、うちが極力並ばせないようにやり方を変えたので気のせいと思うようにしていました。
それが一方でクラウンそのものを蝕(むしば)んでいたとは。
少し前から店内棚の空きが目立ち始め、ここ数回の営業ではお客さんからも「クラウン大丈夫?」と訊かれたことがありました。
ただ自分としてはたい焼き屋としてブレイクさせてくれたスーパーとして思い入れがありましたし、鮮魚売場などは他にはない品揃えで他店と差別化を図ったり地産地消に力をいれている良店というイメージがあったのでどうにかなるだろうと楽観的に考えていました。
それに市内で50年くらいやっている会社なので万が一閉めるとしても事前告知はするだろうという頭がありました。
それだけに今回の突然の廃業はとても残念でなりません。
立つ鳥跡を濁さず。
「このは」の最後はお客様に感謝しながら、一方で「餡子だけ?」とか聞く無礼者にはアツアツたい焼きを投げつけて・・・大満足な形で最後を迎えたいものです。
今までクラウンで買って下さったお客様、未熟なところも多々あったかと思いますがありがとうございました。
近いところでは鉄砲通り西側の浜見平ブランチ2で営業していますので見かけましたらよろしくお願いします。
家内共々お待ちしております。